コラム

〈今さら聞けないD&I〉基本のキから徹底解説 〜スマートシティを支える多様性と包摂のデザイン〜

目次

はじめに:なぜ今、D&Iなのか?

①「ダイバーシティ&インクルージョン」とスマートシティの接点

デジタル技術の急速な発展により、私たちの社会は大きな変革期を迎えています。特に都市部では、IoT、AI、ビッグデータなどの最新技術を活用した「スマートシティ」の実現が世界各地で進められています。一方で、企業や組織では「ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)」への取り組みが経営戦略の中核として位置づけられるようになりました。

一見すると技術的な話題と人事・組織論の話題に見えるこの2つの概念ですが、実は深い関係性があります。なぜなら、真にスマートな都市とは、テクノロジーの力で「すべての人が自分らしく生きられる社会」を実現する都市だからです。

②テクノロジーと人の関係性が問われる時代

現代社会では、技術の進歩が人々の生活を便利にする一方で、デジタル格差や社会的排除といった新たな課題も生まれています。例えば、高齢者にとって使いにくいスマートフォンアプリ、視覚障害者が利用困難なWebサイト、外国人住民が理解できない行政サービスなどは、技術の恩恵を受けられない人々を生み出しています。

このような状況下で、技術開発や都市設計において「誰のために」「何のために」という視点が改めて重要視されています。技術は中立的な存在ではなく、それを設計・開発・運用する人々の価値観やバイアスが反映されるものです。だからこそ、多様な背景を持つ人々が技術開発に関わり、多様な視点から社会課題を捉えることが必要なのです。

③本記事の目的と構成概要

本記事では、D&Iの基本概念から始まり、スマートシティとの関係性、そして実際の取り組み事例まで、幅広く解説していきます。「今さら聞けない」という副題の通り、基礎知識から実践的な内容まで、誰でも理解できるよう丁寧に説明します。

特に、D&Iを単なる「多様性の確保」や「公平性の実現」という表面的な理解に留めず、組織や社会の創造性と適応力を高める戦略的アプローチとして捉える視点を大切にします。そして、スマートシティの文脈でD&Iがどのような価値を生み出すのか、具体的な事例を通じて理解を深めていきます。

第1章:D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)とは?

①言葉の定義:ダイバーシティとインクルージョンの違い

ダイバーシティ(Diversity)とインクルージョン(Inclusion)は、しばしば一体として語られますが、実は異なる概念です。

ダイバーシティとは、組織や集団における「多様性」を指します。これには、性別、年齢、国籍、人種、宗教、性的指向、身体的特徴、学歴、職歴、価値観、思考スタイルなど、様々な次元での違いが含まれます。つまり、「異なる背景を持つ人々がいる状態」を表す概念です。

一方、インクルージョンは、その多様性を「活かす」ことを意味します。単に多様な人々が集まっているだけでは不十分で、それぞれの個性や能力が発揮され、組織の成果や価値創造に貢献している状態を指します。

よく使われる比喩として、「ダイバーシティはパーティーに招待されること、インクルージョンはダンスに誘われること」という表現があります。招待されただけでは隅っこに立っているだけですが、ダンスに誘われることで初めて参加者として活躍できるということです。

②よくある誤解:「多様性=見た目」ではない

D&Iについて語る際、多くの人が「見た目の多様性」に注目しがちです。確かに、性別や人種、年齢などの目に見える属性は多様性の重要な側面ですが、それだけでは不十分です。

本当の多様性は、「認知的多様性」や「経験的多様性」にも目を向ける必要があります。例えば、同じ性別・年齢・学歴の人々であっても、育った環境、価値観、思考パターン、専門分野、ライフスタイルなどは大きく異なります。

また、多様性は「固定的」なものではなく「流動的」なものでもあります。同じ人でも、時間の経過とともに経験が蓄積され、ライフステージが変化し、価値観も変わっていきます。妊娠・出産・育児、介護、転職、病気、海外経験など、様々な出来事が個人の多様性を豊かにしていきます。

③ インクルージョンとは「受け入れる」でなく「活かし合う」

インクルージョンについても、「受け入れる」「我慢する」「配慮する」といった一方的な行為として理解されることがありますが、これは誤解です。

真のインクルージョンは、相互作用相互学習のプロセスです。異なる背景を持つ人々が出会うことで、新しいアイデアが生まれ、既存の常識が問い直され、組織全体の能力が向上します。これは、多様性を「負担」として捉えるのではなく、「資源」として活用する考え方です。

例えば、日本企業で働く外国人社員は、単に「受け入れられる」存在ではありません。彼らの持つ国際的な視点、異文化理解、語学力、母国でのネットワークなどは、企業の海外展開や新市場開拓において貴重な資源となります。同時に、日本人社員も外国人社員との協働を通じて、自国の文化や慣習を客観視し、コミュニケーション能力を向上させることができます。

④ D&Iが生まれた背景と時代の流れ(グローバル・社会課題)

D&Iの概念は、1960年代のアメリカ公民権運動に端を発し、段階的に発展してきました。

第1段階:法的平等の実現(1960-70年代) 人種差別禁止法や男女平等法の制定により、法的な差別の撤廃が進められました。この時期は「コンプライアンス」の観点から、差別を禁止し、機会均等を保障することが主目的でした。

第2段階:積極的格差是正(1980-90年代) 法的平等だけでは実質的平等が実現されないことを受け、アファーマティブアクション(積極的差別是正措置)が導入されました。女性や少数派の積極的な登用が進められましたが、「逆差別」や「数合わせ」といった批判も生まれました。

第3段階:ビジネス価値としてのD&I(2000年代以降) グローバル化の進展により、多様な市場への対応、イノベーションの創出、優秀人材の獲得といった観点から、D&Iが「ビジネス戦略」として位置づけられるようになりました。

現在は、ESG投資の拡大、SDGsの浸透、デジタル変革の加速などを背景に、D&Iは社会全体の持続可能性を支える基盤として認識されています。特に、都市化の進展と技術革新が同時に進む現代において、「誰ひとり取り残さない」包摂的な社会の実現が喫緊の課題となっています。

第2章:D&Iとスマートシティの意外な関係

①スマートシティとは何か?人中心の都市づくりという発想

スマートシティの定義は多様ですが、一般的には「ICT(情報通信技術)を活用して、都市の機能やサービスを効率化・最適化し、住民の生活の質を向上させる都市」とされています。しかし、近年のスマートシティの議論では、技術そのものよりも「人間中心の都市づくり」という視点が重視されています。

従来のスマートシティは、センサーやデータ分析による交通最適化、エネルギー効率化、防犯・防災システムの高度化などに焦点が当てられていました。しかし、これらの技術的ソリューションだけでは、真の「住みやすさ」や「暮らしやすさ」は実現できないことが明らかになってきました。

現在では、スマートシティを「技術を活用して、すべての住民が自分らしく生きられる包摂的な都市」として再定義する動きが広がっています。この考え方において、D&Iは技術活用の前提条件となる重要な要素なのです。

②テクノロジーだけでは実現できない「暮らしやすさ」

技術の力で都市の効率性を高めることは確かに重要ですが、それだけでは住民の多様なニーズに応えることはできません。なぜなら、「暮らしやすさ」は人によって大きく異なるからです。

例えば、車いすを使用する人にとっての「移動しやすさ」は、健常者とは全く異なります。視覚障害者にとっての「情報アクセシビリティ」、高齢者にとっての「デジタルサービスの使いやすさ」、外国人住民にとっての「言語対応」、子育て世代にとっての「安全性」なども、それぞれ固有のニーズがあります。

さらに、技術の導入過程や運用においても、多様な視点が必要です。例えば、防犯カメラの設置は安全性を高める一方で、プライバシーの侵害や監視社会への懸念も生じます。このようなトレードオフを適切に判断するためには、様々な立場の住民の声を聞き、合意形成を図る必要があります。

③誰ひとり取り残さない都市設計におけるD&Iの役割

SDGsの理念である「誰ひとり取り残さない(Leave No One Behind)」社会の実現において、スマートシティとD&Iの関係は密接です。

計画段階でのD&I スマートシティの計画段階から、多様な住民の参画を確保することが重要です。従来の都市計画では、行政や企業、専門家といった限られたステークホルダーによって意思決定が行われることが多くありました。しかし、実際にその都市で暮らすのは多様な住民です。性別、年齢、国籍、身体的特徴、経済状況、家族構成などの違いによって、都市に対するニーズや期待は大きく異なります。

設計段階でのD&I 都市のインフラやサービスの設計においても、多様性への配慮が必要です。例えば、公共交通システムの設計では、車いす利用者、ベビーカー利用者、視覚障害者、聴覚障害者、高齢者、妊婦など、様々な利用者の動線や利用方法を考慮する必要があります。

運用段階でのD&I サービスの運用開始後も、継続的な改善が必要です。実際の利用状況やフィードバックを収集し、新たな課題や未対応のニーズを発見して対処していくプロセスにおいて、多様な住民の声を聞き続けることが重要です。

④地域・世代・言語・身体的条件を越えるデザインが鍵

スマートシティにおけるD&Iの実現には、「ユニバーサルデザイン」の考え方が不可欠です。ユニバーサルデザインとは、「すべての人にとって使いやすいデザイン」を目指す考え方で、特定の誰かのための特別な配慮ではなく、最初からすべての人を対象とした設計を行うことを意味します。

地域性への配慮 同じ都市内でも、地域によって住民の特性や課題は異なります。商業地区、住宅地区、工業地区、歴史的地区など、それぞれの特性を活かしながら、地域住民のニーズに応じたサービス設計が必要です。

世代間の違いへの配慮 デジタルネイティブ世代とシニア世代では、技術に対する慣れ親しみ方や期待値が大きく異なります。どちらか一方に偏ることなく、すべての世代が利用しやすいインターフェースやサービス提供方法を検討する必要があります。

多言語・多文化への配慮 国際化が進む現代都市では、日本語以外の言語を母語とする住民も多く住んでいます。言語的なバリアフリーはもちろん、文化的な違いや宗教的な配慮も重要な要素です。

身体的多様性への配慮 身体的な特徴や能力の違いに関わらず、すべての人が都市サービスを利用できる環境づくりが必要です。これは、障害の有無に関わらず、すべての人にとって有益な配慮となります。

第3章:D&Iが産業・組織にもたらす具体的な価値

①D&Iが組織にもたらす3つの効果(創造性・エンゲージメント・適応力)

組織におけるD&Iの推進は、単なる社会的責任の履行にとどまらず、具体的なビジネス価値を生み出します。その効果は主に3つの側面で現れます。

創造性の向上 多様な背景を持つ人々が集まることで、異なる視点や経験が交差し、新しいアイデアやソリューションが生まれやすくなります。これは「認知的多様性」と呼ばれる現象で、同質的な集団では生まれない創造的な解決策を生み出します。

例えば、製品開発において、男性中心のチームでは気づかなかった女性ユーザーのニーズ、日本人中心のチームでは見落としていた海外市場の文化的差異、若手中心のチームでは理解しきれなかった高齢者の使用パターンなどが、多様なメンバーの参加により発見されることがあります。

エンゲージメントの向上 従業員が自分らしさを発揮できる環境では、仕事に対する意欲や組織への愛着が高まります。これは「心理的安全性」と呼ばれる状態で、失敗を恐れずに挑戦したり、率直に意見を述べたりできる職場環境を指します。

心理的安全性の高い組織では、従業員の離職率が低下し、生産性が向上し、顧客満足度も高まる傾向があります。また、優秀な人材の獲得にも有利になります。

適応力の向上 変化の激しい現代社会では、組織の適応力が競争優位の重要な要素となります。多様な人材を擁する組織は、市場の変化や社会の要請に対してより柔軟に対応できます。

これは、様々な背景を持つ人材が持つネットワーク、知識、経験を活用できるためです。また、多様性に慣れた組織は、新しい環境や状況への適応も早い傾向があります。

②経済的インパクトの事例(例:マッキンゼー、BCGのレポート引用)

D&Iの経済的価値については、多くの調査研究で実証されています。

マッキンゼー・アンド・カンパニーの調査結果 マッキンゼーの継続的な調査によると、経営陣の性別多様性で上位25%の企業は、下位25%の企業と比較して15%高い収益性を示しています。また、民族的多様性で上位25%の企業は、35%高い収益性を示しています。

2020年の調査では、さらに詳細な分析が行われ、多様性の高い企業は業界平均を上回る収益を上げる可能性が高いことが確認されています。特に、意思決定層の多様性が重要で、経営陣や管理職レベルでの多様性が業績に大きな影響を与えることが明らかになりました。

ボストン・コンサルティング・グループの調査結果 BCGの調査では、管理職の多様性が高い企業は、そうでない企業と比較して19%高いイノベーション収益を上げていることが分かりました。これは、多様なチームがより革新的なソリューションを生み出しやすいことを示しています。

また、同調査では、多様性の各次元(性別、年齢、国籍、学歴、職歴等)が組み合わさることで、より大きな効果が生まれることも確認されています。

③人材獲得競争における企業のD&I戦略(資生堂・ユニリーバなど)

優秀な人材の獲得が困難になる中、D&Iは企業の魅力度を高める重要な要素となっています。

資生堂の取り組み 資生堂は、「多様性が美の本質」という理念のもと、早くからD&Iに取り組んできました。女性管理職比率の向上はもちろん、国際的な人材の登用、働き方の多様化、LGBT+への理解促進など、包括的な取り組みを展開しています。

特に注目すべきは、「男性の育児参画支援」です。男性従業員の育児休暇取得促進や、育児と仕事の両立支援により、性別に関わらず活躍できる環境を整備しています。これにより、女性のキャリア継続率が向上し、男性の家庭参画も進んでいます。

ユニリーバの取り組み グローバル企業であるユニリーバは、「Sustainable Living」の理念のもと、D&Iを経営戦略の中核に位置づけています。190カ国以上で事業を展開する同社では、各地域の文化や価値観を尊重しながら、グローバルな統一方針を実行しています。

同社の「Unstereotype」という取り組みでは、広告やマーケティングにおけるステレオタイプの排除を進め、多様な美しさや生き方を表現しています。これにより、ブランドイメージの向上と同時に、多様な価値観を持つ従業員の共感を得ています。

④D&Iとサステナビリティ、ESGとのつながり

現代の投資家や消費者は、企業の短期的な利益だけでなく、長期的な持続可能性を重視しています。この文脈で、D&IはESG(環境・社会・ガバナンス)投資の重要な評価項目となっています。

Environment(環境)とのつながり 環境問題の解決には、多様な専門知識と視点が必要です。理系・文系、技術者・マーケター、先進国・途上国など、様々な背景を持つ人材が協働することで、より効果的な環境ソリューションが生まれます。

Social(社会)との直接的関係 D&Iは、ESGの「S」に直接関わる要素です。企業の社会的責任として、従業員の多様性尊重、地域社会への貢献、ステークホルダーとの対話などが求められており、これらすべてにD&Iの考え方が反映されています。

Governance(ガバナンス)への影響 多様性のある経営陣や取締役会は、より良い意思決定を行う傾向があります。これは、多様な視点からリスクを評価し、機会を発見できるためです。投資家にとって、ガバナンスの質を判断する重要な指標となっています。

第4章:スマートシティにおけるD&Iの実装事例

①バルセロナ市:ジェンダー平等に配慮した都市デザイン

バルセロナ市は、スマートシティとD&Iの融合において先進的な取り組みを行っている都市の一つです。特に、ジェンダー平等の観点から都市空間を再設計する「ジェンダー・パースペクティブ」アプローチが注目されています。

女性の視点を取り入れた都市計画 従来の都市計画では、主に男性の生活パターンを前提として設計されることが多くありました。しかし、バルセロナ市では、女性の日常的な移動パターンや安全性への配慮を都市設計に反映させています。

例えば、保育園の送迎、買い物、高齢者の介護などの「ケア労働」の多くは女性が担っており、これらの活動を支援する都市インフラの整備が進められています。具体的には、住宅地と学校・病院・商業施設を結ぶ歩道の充実、ベビーカーや車いすでも通行しやすい道路設計、夜間照明の充実による安全性の向上などが実施されています。

参加型都市計画のデジタル化 バルセロナ市では、「Decidim」というデジタルプラットフォームを活用して、市民参加型の都市計画を推進しています。このプラットフォームでは、市民が都市計画に関する提案や意見を投稿でき、オンラインでの議論や投票が可能です。

重要なのは、このプラットフォームが多言語対応しており、また、デジタルに不慣れな市民のためのサポート体制も整備されていることです。さらに、オンラインだけでなく、オフラインでの説明会やワークショップも並行して実施し、様々な市民が参加できる環境を整えています。

②福岡市の共創型まちづくり:市民参加の多様性

福岡市は、アジアの玄関口として国際化が進む一方で、高齢化や人口減少といった課題も抱えています。こうした複合的な課題に対して、多様な市民の参画による「共創型まちづくり」を推進しています。

多世代・多国籍住民の協働 福岡市では、日本人住民と外国人住民、若者と高齢者など、多様な住民が協働してまちづくりに取り組む仕組みを構築しています。例えば、地域の防災計画を策定する際には、言語や文化の違いを乗り越えて、すべての住民が参加できる体制を整えています。

外国語版の防災マニュアルの作成だけでなく、外国人住民が日本人住民に母国の防災知識を共有したり、高齢者が若い世代に地域の歴史や特性を伝えたりする双方向の学習機会を創出しています。

デジタル技術を活用した参加促進 福岡市では、LINE公式アカウントやスマートフォンアプリを活用して、市民が手軽に行政サービスにアクセスできる環境を整備しています。特に、若い世代の参加促進に効果を上げています。

一方で、デジタルデバイドの解消にも力を入れており、公民館や図書館でのスマートフォン講座、高齢者向けのデジタル機器サポートなども実施しています。

③センサリーマップや多言語表示:インクルーシブデザインの工夫

スマートシティにおけるインクルーシブデザインの実現には、情報アクセシビリティの向上が不可欠です。

センサリーマップの活用 センサリーマップとは、聴覚過敏や視覚過敏などの感覚処理の特性を持つ人々のために、環境の音や光の情報を提供する地図です。自閉症スペクトラム障害や発達障害のある人々が、外出時の不安を軽減し、自分に適した環境を選択できるよう支援します。

例えば、ロンドンでは、地下鉄駅の騒音レベルや混雑状況をリアルタイムで提供するアプリが開発されています。また、商業施設では、照明の明るさや音楽の音量などの情報を事前に提供することで、感覚過敏のある人々の利用を促進しています。

多言語・多文化対応の情報提供 現在多くの都市では、観光案内や交通情報の多言語表示が進んでいますが、真のインクルージョンのためには、生活に密着した情報の多言語化が重要です。

例えば、ごみの分別方法、子どもの予防接種スケジュール、災害時の避難情報など、日常生活に欠かせない情報を、外国人住民が理解しやすい形で提供する取り組みが各地で始まっています。また、単純な翻訳だけでなく、文化的背景の違いを考慮した説明や、ピクトグラムを活用した視覚的な情報提供も重要です。

第5章:D&Iの実現に必要な「マインド」と「仕組み」

①表面的な多様性で終わらせない:心理的安全性の重要性

多くの組織がD&Iに取り組む際、「数値目標の達成」に焦点を当てがちです。女性管理職比率30%、外国人社員比率20%といった定量的な目標設定は確かに重要ですが、それだけでは真のインクルージョンは実現できません。

心理的安全性とは何か 心理的安全性とは、ハーバード・ビジネススクールのエイミー・エドモンドソン教授が提唱した概念で、「チームメンバーが恐怖や不安を感じることなく、自然体で発言や行動ができる状態」を指します。具体的には、失敗や間違いを恐れずに意見を述べたり、質問をしたり、新しいアイデアを提案したりできる環境のことです。

心理的安全性の高い職場では、多様な背景を持つメンバーがそれぞれの強みを発揮しやすくなります。逆に、心理的安全性が低い職場では、せっかく多様な人材を採用しても、その違いが活かされず、同質化圧力によって創造性やイノベーションが生まれにくくなります。

心理的安全性を高める具体的方法 心理的安全性を高めるためには、リーダーシップの変革が不可欠です。上司や管理職が「完璧な答えを持っている」という前提を捨て、「一緒に学び、成長していく」姿勢を示すことが重要です。

具体的には、会議で「分からないことがあれば遠慮なく質問してください」と声をかけたり、自分の失敗体験を共有したり、部下の提案に対して「なるほど、その視点は気づかなかった」と素直に認めたりすることが効果的です。

また、多様性を「管理すべき対象」ではなく「活用すべき資源」として捉える視点も重要です。異なる意見が出ることを「対立」ではなく「創造の機会」として歓迎する文化づくりが求められます。

②数字よりも「声を聴く」こと:インクルーシブな意思決定の方法

D&Iの成果を測定する際、多くの組織が数値指標に依存しがちです。しかし、真のインクルージョンを実現するためには、定量的な指標だけでなく、定性的な情報にも注目する必要があります。

「声」を聴くための仕組みづくり 多様な従業員の声を聞くためには、様々なチャネルを用意することが重要です。全社アンケートやタウンホールミーティングといった全体向けの場だけでなく、少人数のフォーカスグループ、1on1面談、匿名の提案システムなど、発言しやすい環境を複数用意する必要があります。

特に、声を上げにくい立場の人々(新入社員、非正規雇用者、外国人社員、LGBT+の社員など)の意見を積極的に収集する仕組みが重要です。これらの声は、組織の盲点や課題を発見する貴重な情報源となります。

意思決定プロセスの透明化 インクルーシブな意思決定のためには、誰がどのような根拠に基づいて判断を行ったかを明確にすることが重要です。決定事項だけでなく、決定に至るプロセスや考慮した要因を共有することで、組織の信頼性を高めることができます。

また、重要な決定については、事前に多様なステークホルダーからの意見収集を行い、その結果を意思決定に反映させるプロセスを制度化することも効果的です。

③組織文化としてのD&I:言語化と共有のプロセス

D&Iを組織に根付かせるためには、理念や価値観の明文化と共有が不可欠です。しかし、単に「多様性を尊重する」といった抽象的な表現では、実際の行動変容にはつながりません。

行動指針の具体化 D&Iの理念を実践に移すためには、具体的な行動指針を示すことが重要です。例えば、「会議では必ず異なる視点からの意見を求める」「採用時には多様な候補者を検討する」「プロジェクトチームには異なる部門や背景のメンバーを含める」といった具体的な行動を明示します。

これらの行動指針は、従業員が日常業務でD&Iを実践する際の具体的なガイドラインとなります。また、評価制度や昇進基準にもD&Iに関する項目を組み込むことで、組織全体の行動変容を促進できます。

ストーリーテリングの活用 組織文化の変革には、論理的な説明だけでなく、感情的な共感も重要です。D&Iの価値を伝える際には、数字やデータだけでなく、実際の成功事例や個人の体験談を共有することが効果的です。

例えば、多様なチームが新しい商品開発に成功した事例、外国人社員のアイデアが海外展開に貢献した話、育児中の社員の柔軟な働き方が生産性向上につながった例などを、具体的なストーリーとして共有します。

④個人にも求められる「違いを理解する力」

D&Iの実現は、組織の制度や仕組みだけでは達成できません。最終的には、一人ひとりの従業員が多様性を理解し、包摂的な行動を取ることが重要です。

無意識のバイアスへの気づき すべての人は、無意識のうちに偏見や先入観を持っています。これらの「無意識のバイアス(アンコンシャス・バイアス)」は、採用、評価、昇進、日常のコミュニケーションなど、様々な場面で影響を与えます。

D&Iを実現するためには、まず自分自身のバイアスに気づくことが第一歩です。例えば、「理系は男性が得意」「営業は外向的な人に向いている」「リーダーシップは年上の人が発揮するもの」といった思い込みがないか、定期的に自己点検することが重要です。

異文化コミュニケーション能力の向上 多様性のある職場では、異なる文化的背景を持つ人々と効果的にコミュニケーションを取る能力が求められます。これは、外国人との交流だけでなく、世代、職種、価値観の違いを乗り越えるコミュニケーションも含みます。

具体的には、相手の立場や背景を理解しようとする姿勢、分からないことを素直に質問する勇気、自分の考えを相手に分かりやすく伝える技術などが重要です。また、非言語コミュニケーション(表情、身振り、声のトーンなど)への配慮も欠かせません。

第6章:D&I時代のキャリアづくり

①多様性のある組織で求められるコミュニケーション能力

グローバル化とデジタル化が進む現代において、多様性のある職場で働くことは特別なことではなく、標準的な働き方となっています。このような環境で活躍するためには、従来とは異なるコミュニケーション能力が求められます。

コンテクスト(文脈)を意識したコミュニケーション 同じ文化的背景を共有する人々の間では、言葉にしなくても伝わる「察する文化」が存在します。しかし、多様性のある職場では、この前提が通用しません。相手の理解度を確認しながら、必要な情報を明確に伝える「ローコンテクスト・コミュニケーション」の技術が重要になります。

例えば、会議の議事録を作成する際も、「いつものように」ではなく、「前回同様、A案とB案を比較検討し、来週までにC部門の意見を聞いて最終決定する」といった具体的な表現を心がけることが重要です。

アクティブリスニング(積極的傾聴)の実践 多様な背景を持つ人々の話を聞く際には、表面的な内容だけでなく、その背景にある価値観や経験を理解しようとする姿勢が重要です。相手の発言を途中で遮らず、質問を通じて理解を深め、相手の立場に立って考える能力が求められます。

また、自分の理解が正しいかどうかを確認するため、「つまり、○○ということでしょうか?」といった確認の言葉を適切に使うことも大切です。

②異なる立場と協働する「越境力」とは?

現代のビジネス環境では、部門、企業、業界、国境を越えた協働が日常的に発生します。このような環境で成果を上げるためには、「越境力」と呼ばれる能力が重要になります。

越境力の構成要素 越境力は、以下の要素から構成されます:

好奇心と学習意欲:異なる分野や文化に対する興味と、継続的に学び続ける姿勢 適応力:新しい環境や状況に柔軟に対応する能力 橋渡し能力:異なる立場の人々の間で、共通点を見つけ、理解を促進する能力 システム思考:部分的な最適化ではなく、全体的な視点から物事を考える能力

越境経験の積極的な活用 越境力を身につけるためには、意図的に「異質な環境」に身を置く経験が重要です。これは、海外駐在や転職といった大きな変化だけでなく、社内の他部門との協働プロジェクト、異業種交流会への参加、ボランティア活動への参加など、日常的な活動でも培うことができます。

重要なのは、これらの経験を「学習機会」として捉え、自分の成長につなげることです。うまくいかなかった経験も含めて、振り返りを行い、次回に活かす姿勢が重要です。

③自分らしく働ける職場をどう見極めるか?

D&I時代において、転職や就職活動では、給与や職種だけでなく、「自分らしく働けるかどうか」も重要な判断基準となります。

職場のD&I成熟度を見極めるポイント 面接や職場見学の際に、以下の点を確認することで、その組織のD&I成熟度を判断できます:

制度面:育児・介護支援制度、フレックスタイム制度、リモートワーク制度などの充実度 運用面:制度が実際に利用されているか、利用者が不利益を受けていないか 管理職の多様性:性別、年齢、国籍、職歴などの多様性が管理職にも反映されているか コミュニケーション文化:オープンで率直な議論が奨励されているか、失敗に対する寛容性があるか

面接での質問例 具体的には、以下のような質問を通じて情報収集を行うことができます:

「チームの多様性について、どのような取り組みをされていますか?」 「新しいアイデアや異なる意見はどのように扱われますか?」 「失敗した時のサポート体制はどうなっていますか?」 「キャリア開発において、個人の特性や状況は考慮されますか?」

④D&Iを自分の強みに変えるには?

D&I時代においては、自分の「違い」を弱みとして隠すのではなく、強みとして活用する発想が重要です。

自分の多様性要素の棚卸し まず、自分自身の多様性要素を整理してみることから始めます。これには、以下のような項目が含まれます:

属性的多様性:性別、年齢、国籍、出身地、学歴、職歴など 経験的多様性:海外経験、転職経験、起業経験、子育て経験、介護経験など スキル的多様性:専門知識、語学力、資格、趣味・特技など 思考的多様性:価値観、思考パターン、問題解決アプローチなど

多様性要素のビジネス価値への変換 次に、これらの多様性要素がどのようなビジネス価値を生み出すかを考えます。例えば:

海外経験→グローバル市場への理解、異文化コミュニケーション能力 子育て経験→マルチタスク能力、効率的な時間管理、顧客視点の理解 転職経験→適応力、異なる組織文化の理解、ネットワークの多様性 技術系バックグラウンド→論理的思考力、問題解決能力、デジタルリテラシー

ストーリーとしての語り方 これらの要素を単なるスペックとして列挙するのではなく、「なぜその経験をしたのか」「そこから何を学んだのか」「今後どう活かしたいのか」といったストーリーとして語ることが重要です。

特に、困難や挫折を乗り越えた経験は、レジリエンス(回復力)や成長意欲を示すエピソードとして効果的です。失敗から学んだ教訓、異なる環境への適応経験、多様な人々との協働から得た気づきなどを具体的に語ることで、D&I時代に求められる人材であることをアピールできます。

おわりに:スマートな都市とは、人の多様性を活かせる都市である

①「正しさ」ではなく「共に考える姿勢」が鍵

D&Iやスマートシティの議論において、「正解」を求めたくなることは自然な心理です。しかし、多様性が関わる課題には、万能な正解は存在しません。重要なのは、「正しい答えを見つける」ことではなく、「多様な声に耳を傾け、共に考え続ける」ことです。

例えば、バリアフリー設計において、車いす利用者のためのスロープは視覚障害者にとって段差を認識しにくくする場合があります。高齢者に読みやすい大きな文字は、認知症の人には情報過多で混乱を招く可能性があります。このような状況では、どちらか一方を優先するのではなく、関係者全員で知恵を出し合い、創造的な解決策を模索することが重要です。

この「共に考える姿勢」は、完璧な解決策を一度に見つけることを目標とするのではなく、継続的な改善を通じて、より多くの人が快適に暮らせる環境を作り上げていくアプローチです。失敗や試行錯誤を恐れず、フィードバックを受け入れ、柔軟に修正していく文化が、真のインクルージョンを実現します。

②D&Iを”自分ごと”として捉えることの価値

D&Iの取り組みが「他人のため」「社会のため」という意識にとどまっている間は、その効果は限定的です。真の変革は、一人ひとりがD&Iを「自分ごと」として捉えた時に始まります。

すべての人は、何らかの「マイノリティ」の側面を持っています。性別、年齢、職歴、家族構成、健康状態、価値観など、様々な軸で考えてみると、誰もが「少数派」になる場面があります。今は多数派であっても、将来的にマイノリティになる可能性もあります。

例えば、現在健康な人も将来的に病気になったり、障害を持ったりする可能性があります。今は若い人も必ず高齢者になります。現在日本で多数派の立場にある人も、海外に住めば外国人となり、マイノリティの経験をします。

このような視点で考えると、D&Iは「誰かのための特別な配慮」ではなく、「すべての人が将来にわたって安心して暮らせる社会の基盤づくり」であることが理解できます。

③テクノロジーと人の共存が問われるこれからの社会で、私たちはどう関わるか?

AI、IoT、ロボティクスなどの技術がますます発達し、私たちの生活に深く浸透していく中で、「人間らしさ」の価値が改めて問われています。効率性や合理性を追求するテクノロジーと、多様性や感情を大切にする人間性をどのように調和させるかが、これからの社会の重要な課題です。

テクノロジーの人間化 技術開発の現場では、「ヒューマン・センタード・デザイン」の考え方が重要性を増しています。これは、技術的に可能だから実装するのではなく、人間のニーズや感情、文化的背景を理解した上で、本当に人の役に立つ技術を開発するアプローチです。

このためには、技術者だけでなく、社会学者、心理学者、デザイナー、そして様々な立場のユーザーが技術開発に参画することが必要です。また、技術の社会実装においても、多様なステークホルダーの声を聞き、継続的に改善していく姿勢が重要です。

人間性の技術化 一方で、人間の持つ共感力、創造力、倫理観といった特質を、技術によって拡張・支援することも可能です。例えば、翻訳技術によって言語の壁を越えたコミュニケーションが実現したり、VR技術によって異なる立場の人の体験を疑似的に理解したりできるようになりました。

重要なのは、技術を人間の能力を代替するものとしてではなく、人間の可能性を拡張するツールとして活用することです。そのためには、技術を使う人間の側にも、多様性を理解し、包摂的な社会を作るための意識と能力が求められます。

私たち一人ひとりができること 最後に、私たち一人ひとりが日常でできることを考えてみましょう。D&Iやスマートシティの実現は、政府や企業だけの責任ではありません。市民一人ひとりの意識と行動の積み重ねが、社会全体の変革を生み出します。

身近な場所での実践:職場、学校、地域コミュニティなど、身近な場所で多様性を尊重し、包摂的な行動を心がける 継続的な学習:異なる文化や価値観について学び、自分のバイアスに気づき、修正していく 声を上げる:不公正や排除に気づいた時に、適切な方法で声を上げる勇気を持つ 技術との向き合い方:新しい技術を盲目的に受け入れるのではなく、その社会的影響を考え、人間中心の視点から評価する

スマートシティとD&Iの融合は、単なる理想論ではなく、持続可能で包摂的な社会を実現するための具体的な戦略です。技術の力を借りながら、人間の多様性を最大の資源として活かす。そのような社会の実現に向けて、私たち一人ひとりが当事者として関わっていくことが、今最も求められているのです

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